2020年は、風邪を引きインフルエンザになって、妻のおじいさんの葬儀と何かといろいろ重なる一年の始まりとなりました。
まあこういう時もありますよね。
そして、妻のおじいさんの葬儀で【諷誦文】という言葉と出会い、知らない言葉だったのでググってみた。
諷誦文という平安時代からの風習
妻のおじさんに当たる人が言うには、【諷誦文】は田舎の風習で、自分たちがお経を上げる代わりに、お寺のお坊さんにお経を読んでもらうための、ちょっとした「心づかい」の様なものだ、と説明された。
小さな封筒に名前を書き、「心づかい」として少額、このときボクたちは一人100円を封筒に入れた。
地域によって金額は様々で、一人200円や300円のところもあるらしい。
ググった結果、コトバンクに「仏教用語。死者の供養などのために,僧侶に読経を頼む文書で,施物が記入されている。平安時代以来の風習で,これを受けた僧は読経のあとでこの文書を読上げる。」と書いてあった。
平安時代以来の風習が、今も残ってるなんてすごいなと思った。
ボク自身の祖父母の葬儀では、【諷誦文】は無かった。地域などの違いなのか?
平安時代以来の風習【諷誦文】に触れられて、とてもよかった。
妻のおじいさんとの思い出
妻とは結婚して10年なので、妻のおじいさんとの付き合いもちょうど10年となる。
ちょっと訳ありのボクを、家族として暖かく迎え入れてくれたことをものすごく感謝している。
正月にやった88歳の米寿のお祝いでは、お祝いのお返しでおじいさんの息子夫婦、孫にひ孫、ボクにまでも全員にお年玉を振る舞う「大盤振る舞い」。
ユニークで男気のある人だなと思った。
大正15年に生まれ、二十歳で終戦を迎え、大正、昭和、平成、令和と様々な時代を駆け抜け、93歳で生涯の幕を降ろされた妻のおじいさん。
工業高校を出て、光学系の横浜の会社に就職。戦争に招集されるも、その年に終戦を迎えた。高校当時の写真を見せてもらったとき、銃が普通に写っていて今とのジェネレーションギャップを感じた。
当時の話をもっと聞きたかった。
ボク自身の祖父母は、ボクが30歳を迎える頃にはこの世から他界していて、無償の優しさと、大人になってから会わなかった後悔とが交互に思い出される。
妻との結婚で、また祖父母ができたことは、本当に嬉しかった。
ボクは、霊感やスピリチュアルなことはあまり信じないが、インフルエンザも治りかけの中、葬儀で最後の肉体との別れに立ち会えてよかった。
妻のおじいさんからもらった掛け軸、【福聚海無量】は、一人孫娘の妻に対する優しさが溢れてしょうがない気がする。
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